高遠のコヒガンザクラ

※この文章は、2019年3月に書いた高遠文芸賞応募作品がベースとなっています。その後、2020年~新型コロナウィルスの流行により、さくら祭りのみならず、笛教室や、演奏会も受難の時が続いておりますが・・・私自身はまだもうしばらく笛を吹き続けていきたいと願っております。(2022年12月)

 

 

高遠城址公園コヒガンザクラの思い出(2008-2017年 私の見た桜)  
                            大野 利可

 今年もコヒガンザクラはまた別の顔をみせてくれたなぁ。伊那市駅まで送っていただいた車の中でそう思った。運転手は高遠城址公園さくら祭りの運営に携わってこられた宮澤さんで、今年でお役目が最後、ということだった。2017年4月17日のことだ。

 私は、日本の伝統楽器で竹の横笛である篠笛という楽器の演奏と指導をしている。伊那市生涯学習センター「いなっせ」のホールでコンサートをさせていただいたことがきっかけとなって、2007年のプレ企画を経て2008年から伊那市生涯学習センターで篠笛教室が始まった。その活動を主催してくださる北沢理光さんのご紹介で、2008年から2017年までの間、高遠城址公園のさくら祭りで毎年一日だけ、篠笛の生演奏を続けさせていただいた。4月の3週目または2週目の日曜日が教室で、その翌日の月曜日に高遠城址公園へ移動して約1時間の野外演奏を午前一回、午後一回。

 忘れもしない最初の年、2008年4月21日は、桜日和。全山薄いピンク色のタカトオコヒガンザクラはまさに満開で、風が通り過ぎると夢のような花吹雪が舞う。歓声と溜め息が漏れる園内。一年365日のうちきっと今日が一番素敵な日なのでは・・と思ったものだった。そんな景色と笛の音は手前味噌ではあるけれど、皆様にとても喜んでいただけて、翌年も、というありがたいリクエストをいただいた。そして迎えた翌年。前の年とは打って変わってすっかり葉桜の緑になった高遠城址公園だった。それでも更にもう一度、という声をいただき、三年目は東京から太鼓奏者(重草由美子氏)を連れて演目もパワーアップ。ところが。花は美しく咲きはじめたものの、今度はなんとどしゃぶりの雨に。笛はともかく太鼓奏者には気の毒なこととなった。午前中の演奏は野外でテントの下で。降りやまない雨のため、午後は高遠閣という園内の由緒ある建物の中での演奏となった。

 さてその翌年。教室も年を重ねて来ていたので、生徒さん同士の交流も兼ねて、東京・埼玉・千葉方面からのさくら見物希望者も募ってみんなで桜の下で笛を吹く、という場面を作りましょう、という壮大な計画に。それはそれは大変な盛り上がりをみせようという矢先・・そう、2011年のことだった。東日本大震災の影響で、ここ高遠でも残念ながらさくら祭り自体が中止となってしまい、計画は敢え無くもお流れとなる。日本中が大変な渦に巻き込まれたこの年。何事に限らず、あまり先の約束が成り立たなくなった。一方、逆にやりたいことは今!と考える機運も生まれた。そして迎えた2012年。よし、とばかり前の年に準備したことをそっくりそのまま一年スライドさせて、東京・埼玉・千葉の篠笛愛好者と伊那教室のメンバーが一同に会して、高遠城址公園を訪れた。人同士の交流は大変有意義なものとなり、催しは大成功。でも嗚呼何ということ、その年の桜はようやく一輪咲いたかどうか・・勿論参加者皆の心の中では桜は満開!が、しかし・・こればかりは誰のせいでもなく・・

 翌2013年は可憐に咲いたコヒガンザクラの下で、初心に返ったような演奏となった。前の年に桜と会えなかったことを無念に思った何人かが、再び高遠城址公園を訪れ、それぞれが出会いたかった桜と出会った。前日には「いなっせ」の立派なホールで第一回友笛会伊那教室発表会が開催された。一方、城址公園での演奏は基本的には笛一管のみ。特別な舞台といったしつらえはなく、城址公園二の丸の桜雲橋の袂にマイクが一本。一時間はその前でひたすら演奏に没頭する。近くを通りかかる人には生の音が届き、生音の届かない遠くの方や、公園に入って来る方にはマイクを通した音で笛の音が届く。始まると自然に人垣ができる。そんな一日だけの出逢い、意外性も演奏の後押しをしてくれたかと思う。次第次第に毎年この時期にここで笛、ということが恒例のようになって来て、耳聡く情報を聞きつけて一年にたった一日のこの日を狙ってやって来る方も現れて来た。まことに有難いことだった。
 2014年は久しぶりに東京から太鼓奏者(石塚由有氏)も来てくれて、ちょっと贅沢なコンサートのようになった。ケーブルTVの取材も入り、長野に住んでいる友人が駆けつけてくれたり、私も大きな曲を思う存分気持ちよく演奏させていただいた。お天気も良く、この日に桜は満開に!春の日差しに蕾が刻一刻とどんどん開いていくのが手に取るようにわかり、初々しい満開に出会えた。思いがけない再会もあった。プライベートで埼玉から観光にやってきたご夫妻。実は以前から縁ある保育園の園長・理事長ご夫妻だった。プライベートな旅に、この日この高遠城址公園を選ばれたのは本当に偶然の出来事だった。この日、笛の演奏があるなどということはご存知なくいらした、笛の大好きなお二人。公園入口で「あら、笛の音がする??聴いたことのあるような??まさかまさか??」と。以前、保育園の催しで演奏させていただいたり、園の先生方に笛を指導させていただいたこともあり、確かにお二人にとって私の笛は聞き覚えのある音ではあるはずで・・(笛の音は、声と同じように一人一人違う音色が出る、というものでもあるので。)こんな偶然はお互いにとって感激もひとしおだった。この再会がきっかけとなって、この年の夏、もうひとつのコンサートが実現した。
 翌2015年は再び教室の発表会と抱き合わせでの計画となった。雨の高遠城址公園で、演奏は高遠閣の建物の中。高遠閣の舞台に笛教室のメンバーも一緒に上がった。はるばる富山から日帰りでこの演奏を目当てに聴きに来てくださった方もあった。この頃の私は雨に濡れる満開の桜もとても美しいな、と感じるようになっていた。これだけ毎年会っていても、当たり前なことではあるが、二度とは同じ顔を見せてはくれないのが桜だなぁ、としみじみと実感してもいた。全てのことは刻々と移り変わってゆく。普段は静かなこの公園にこの時ばかりは全国からたくさんの人がやって来る。毎年のさくら祭りの運営にはさぞやご苦労のあることだろう。当然ながら満開の時期も、その日のお天気も、人の思惑通りには行かない。翌年は、雨なら演奏は中止、という取り決めとなった。しかし、心配をよそに、翌年2016年は再び晴天に恵まれ、無事に演奏を終えた。ふるさと信州に戻って働き始めたという若いスタッフがさくら祭りの運営に携わっている様子がとても印象的だった。

 2017年は今にも降り出しそうな空模様で、これはいよいよ中止かな・・と危惧した。実際、「今年は期間中に予定されていながら雨天中止となってしまった催しが数々あった」と聞いていた。お迎えの車が宿へ来てくださり、城址公園へ向かう。まるでこの時間を、この空間を、目に見えない誰かが待っていてくれたかのように、予定の演奏時間は穏やかに過ぎて行った。そして、公園を後にしたとたんに、ワイパーをしっかり動かさなければ前が見えないような土砂降りの雨が・・こうして10年に亘ってお世話になった高遠城址公園さくら祭りでの演奏はいったん幕を下ろした。お世話になった観光協会の皆様の顔が思い浮かぶ。様々な流れの中で、十年間、高遠城址公園のさくら祭りという大きな催しに、大好きな笛を通して関わらせていただけたことは、私にとって得難い体験だった。
 人より遥かに永い生命を生きる桜の木。未来を、子孫を想ってその桜を植えた偉大な先人達が確かにそこにいたのだ。そして、その生命を今なお大切に伝え続けている桜守の方々。毎年のさくら祭りを縁の下から支え続けるスタッフの皆さん。様々な想いに守り育てられて来たのであろうタカトオコヒガンザクラに囲まれた時、何か人知を超えた不思議な空気が漂う。桜の生命そのものとでも言おうか。そんな空間に身を置いて笛を吹かせていただけたことの幸せをつくづくとかみしめている。感謝を込めて。

我もまたコヒガンザクラいつまでも咲き続けよと願ふひとりに


 

 


2022年12月01日